※今日の時点で東京が沖縄に連勝・新潟も埼玉に連勝したのでまだまだ先行きは不透明!!
■ 代々木第二のキャパ
HPによれば代々木第二体育館ってキャパが3200だって。小さい!
そういや高校生のときにJBLを1人で見に行って300ぐらいしかいなかった試合とかあったなあ。あの時は暇だったから観客を数えてたww
もしWCGが代々木で開催されたら・・・
・今季のアパッチの集客実績は平均3115人(リーグ1位)
・WCGというカード自体の魅力
・大勢の新潟ブースターが駆けつける
・日曜の昼に有明よりも交通の便がいい代々木で開催
これらをすべて加味すると観客動員は5000を下らないと普通に思うんだけどね・・・代々木では席がぜんぜん足りない!!
こりゃチケット取るの大変じゃない?
JBLでは日立やトヨタ?のホームコートとして、あるいはファイナルの会場として代々木第二体育館をよく使ってるけど、満員御礼の試合ってどれくらいあるんだろうか?
さすがにファイナルぐらいは満員になったんだろうとは思うけど、情報不足で知りません。
まあレラカムイ以外は観客動員を毎試合公表していないので知る由もないけど。
それでもBS−iを見た人の感想やブロガーの感想を覗き見して判断すると「代々木はスカスカってほどじゃないけどそんなに入っている感じでもない」ようだね。
観客動員に関して僕が知ってる唯一のソースは、北海道新聞の記事sで、各チームの平均観客動員数が載っているもの。(記事の数字は途中経過だったですが)
それによると代々木がホームの日立が1320人(07/12/23現在)。日立は代々木以外でも主催試合を開催してた記憶があるから単純に代々木での平均動員ってわけじゃないけど。
※ちなみにレラカムイはダントツの2986人。
※ところで今回のブログ記事は、実際にWCGが開催されてしかも満員御礼になるのを見届けてからアップしようかと思ったけど、まあ実際満員になるだろうから(おいおいホントかよ)このまま載せます。
もしも実際の観客数が2000人程度だったらすみません。って僕が謝ることでもないけど、そんな程度の人数だったらbjも終わりだね。
3000以上のハードルは結構高い事は知っているけど、前述したとおり、観客動員に関してのプラス要因が揃っているからアパッチの目標は「必ず満員」。
それ以外の結果だったらよっぽど運営がダメなのだと僕は判断するから頑張ってください(偉そうでスマン)。
俺が思いつけるマイナス要因と言えば・・・開催日程を18から20日に変更したことで予定が狂う人が出てくること、ぐらいでしょうか。
(そのほかにこの試合の動員に関してプラス要因とマイナス要因を考え付いたら教えてください)
■ 徳島でのアジア選手権を見て思ったこと
話は少し変わるけど、ワタクシは去年まで徳島県に住んでいて、去年の徳島でのアジア選手権をきっちりと見届けたのだけれど、そのとき感じたのは
「やっぱり日本代表の集客力ってすげえ」だった。
徳島新聞社の記事によると、メイン会場となったアスティとくしまの観客動員は立ち見ありの試合では3300人ぐらい(俺も見に行った8/1の日韓戦)。
その前日のカザフスタン戦(火曜日・2次リーグの初戦という悪条件)では、観客がそれほど多くなくて(俺も見に行かなかったけど)怒っていたブロガーさんもいた記憶もあるけど、徳島市のように人口30万人程度の規模の都市で2000〜3000人以上も毎試合集めるって普通にすごいと思わない?
・ 徳島県民だけで毎日3000人以上の動員は難しい(人口が少ない)
・ チケット代が高かったので多くの試合は見られない。
・ 四国・近畿以外の都市から観戦するなら、宿泊が必要
こんな条件でもおそらくbjの観客動員平均(現時点で2220人ぐらい?)と同じぐらいか上回る集客ができていて、正直代表ってすげえ人気あるなあと思った。
普段bjしか見なくなった俺も結局は代表の試合を見に行っていたからねえ。
代表はそういう集客力を持っていると思うんだけど・・・。
でも、代表選手達を抱えているJBLは、全く集客できてない。
選手の質と集客力は相関しないのか??
選手の質ではなく、運営側の努力が観客動員に反映するのか??
いったいどうなのだろう。
■ 何にも変わらないJBL
bjができるまでの間10年以上もJBLを見てきたけど、ハッキリ言いますが本当に何も変わんなかった。
皮肉っぽく言えば、JBL→スーパーリーグ→JBLと名前が変わったのと、実にたくさんのチームがJBLから消えたということぐらいか。
しかしbjができてそんなモヤモヤが一部ではあるけど解消された。
たとえば
・プロリーグができたこと自体がうれしい
・全国各地での地域密着を実践。
単に名前だけじゃなく、地域への活動を積極的に行っている
・bjtvによる全試合視聴あるいはPlay by play
・他国とのチャンピオンシップゲーム
・ファンとの対話(bjにはブログのコメントなどで意見を送ることができる)
上記の全てがいまだにJBLはリーグレベルではたいしてできてない。そんなに難しいことなの?
bjはできたじゃん。レラカムイもチーム単位ではbjチームと同じようにできてるじゃん。
Play by playなんて選手やファンのブログでやっている現状。
運営側はこんな状態で恥ずかしくないのだろうか?
サラリーキャップが少ないとか、日本人のレベルが低いとか、外国人が多すぎとか問題はたくさんあるけど、きっとこれらの問題は克服するだろう。
■ JBLに選手が入り続ける理由
bjが設立されてからもトップの選手達は毎年JBLに入り続けるよなあ。
なんでbjに来ないのだろうかって思うんだけど、確かに彼らの気持ちはわかる。
自分が大学を卒業して就職活動をしたときのことを思い出すと、あの時は業界のことや社会のことなんて今と比べればまったくわかってなかった。
毎年発表される「新卒人気企業ランク」とか見ていると、たしかに俺も昔はああいった人気企業に憧れたなあと思うけど、現実的には
「人気企業」=「(自分にとって)素晴らしい会社」
というわけでは必ずしもないということ。
現状ではJBLのほうがbjリーグよりも日本人選手の給料がはるかに高いと聞く。
たとえば新聞報道によるとレラカムイの桜井選手は年棒2000万以上だとか?bjの「A契約」最低年棒の6倍以上!
だからJBLを選手が選ぶ?
あるいはJBLにいたほうがレベルの高いバスケットができるということで選ぶ人もいるかもしれないね。それが一番大きい?
でも俺が思うに、一番大きな理由って、意外に先輩やコーチ(教師?)たちのアドバイスじゃないかって思うのだけど。
■ Stay Hungry. Stay Foolish.
JBLに入るような選手の殆どは、バスケット界のコミュニティーの中で全ての生活を送っていて、彼らの選択の一つ一つが周りの人たちに評価されたり監視されたりしていると思う。
だから道から外れるのって、今までサポートしてもらった人の顔が浮かんだり、怖いコーチが怒るんじゃないかと思ったり、とにかくとても勇気がいること。一会社員だった俺でさえ会社を辞めるとき、いろんな人の顔が浮かんだしプレッシャーもあった。
でもJBLで2000万を稼ぐような選手は、4年プレイして8000万貯めたら税金取られても4000万は稼げるわけだからその年々の生活費を引いて、その後4年間無収入でも普通の暮らしをすれば生きられるでしょ?
なんでそんな若いクセに今の場所に安住するのかなあ。
自分が日本代表になれるぐらいの実力があったら、bjに移籍して大好きなバスケの市場価値を高めて一生懸命スポンサーを集めて、観客を増やしてサラリーキャップを何倍にも上げてやろうと思う。
これはスタッフが頑張っても優秀で人気がある選手がその気になってやらないとどうにもならない。
アジア選手権では成績が悪かったにもかかわらず、あの徳島で毎日何千人も集客できるんだよ?選手達は自信をもって市場に飛び出してほしいなあ。
もちろん大変だと思うよ。他人事だから言えるって言われるかもしれないけど、俺だったら迷わず飛び出してみる。
そんなことを思った今日でした。
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
Steve Jobs
最後にちょっと古いですが、俺がとても感銘を受けたスティーブ・ジョブスのスピーチを載せます。
2005年のスタンフォード大学で講演した内容です。
ご存知の方も多いと思います。
上の文はその一部分でした
英語全文は以下のリンクで
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html
本日は、世界有数の大学の1つを卒業される皆さんとここに同席することができ、たいへん光栄に思います。
本当のところ、私は大学を出ていません。ですから私 にとって、これが今までで大学卒業に最も近い経験になります。今日私がお話したいのは、私が自分の人生から学んだ3つの話です。
それだけです。たいしたものではありません。たった3つです。
最初は、「点と点をつなぐ」という話です。
私はリード大学を半年でドロップアウトしましたが、実際に退学するまでの間18ヶ月間ほどは大学に居残ってました。
なぜドロップアウトしてしまったのでしょうか?
話は私が生まれる前に遡ります。
私の生みの母親は若い未婚の院生だったので、私を養子に出すことにしました。
彼女は、私が大卒者の家庭で育てられるべきだと考え、弁護士の夫婦と養子縁組をすでに決めていました。
でも実際に私がポンッと出た最後の土壇場で、彼らは女の子が欲しいということになってしまったのです。
そこで夜遅くに、養子縁組待ちリストにあった両親のところに電話が行きました。
「予定外の男の赤ちゃんが生まれました。養子縁組を希望しますか?」
両親は答えました。「もちろん」。
その後、母が大卒ではなく、父は高校すら出ていないということを知って、生みの母親は養子縁組の最終書類へのサインを拒否しました。
彼女が折れたのは数ヶ月後でした。
両親が、私を大学に行かせると約束したからでした。
これが、私の人生の始まりです。
17年後、私は実際に大学に入りました。
しかし私は、さしたる考えもなしに、スタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまいました。
労働者階級だった両親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていってしまった。6ヶ月後、私はそこに何も価値を見出せなくなっていました。
私は、自分が人生において何をしたいのか、それを見つけるために大学が何の役に立つのか、まったく分かりませんでした。にもかかわらず自分がここにいることで、両親が生涯かけて貯めた金を 残らず使い果たそうとしている。
だから私は退学を決めました。
これですべてうまくいくと信じていました。もちろん、そのときはたいへん恐ろしい思いをしました。しかしふり返ってみると、あれは私の人生で最良の決断の1つだったといえます。
ドロップアウトしたそのときから、私は興味を持てない必修科目は受けずに、それよりもはるかに興味深い科目に出ることができたからです。
もちろん、すべてがいい話というわけではなかった。寮の部屋もありませんでしたから、夜は友人の部屋の床で寝て、コークの瓶を店に返すともらえる5セントを集めて食べ物を買ったりしました。
毎週日曜の夜は、7マイル歩いて街を抜けて、ハーレ・クリシュナ寺院に行っておいしいご飯を食べた。あれはとても良かった。
そんなふうに、自分の興味と直感に従って動き回っているうちに出会ったものの多くが、後からみればこの上なく価値のあるものだったのです。 例をひとつ挙げてみましょう。
リード大学は、カリグラフィ教育において、おそらく当時国内最高水準でした。
キャンパス中いたるところに、ポスターやら戸棚のひとつひとつに貼るラベルなど、すべてが美しい手書きのカリグラフィで飾られていました。
私はもうドロップアウトしていて普通の授業には出なくていいわけですから、カリグラフィのクラスに出席して、そのやり方を学んでみようと思ったのです。
セリフとサンセリフの書体、さまざまな字の組み合わせに応じて文字間隔を調整する手法や、美しい字体は何が美しいのかなどを学びました。
それは美しく、歴史があり、科学ではとらえられない繊細な芸術性をもった世界です。私は夢中になりました。
もちろんそのとき、これらが人生の上で実際に役に立つ可能性があるなどとは思ってもみませんでした。
しかし10年後、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計していたとき、その時のことがよみがえってきたのです。そこで私たちはそれらをすべてマックに注ぎ込みました。美しいフォントを持った初めてのコンピュータだった。
もし私が、大学であの授業にもぐりこんでいなかったとしたら、マックには複数フォントも字間調整フォントも入っていなかったでしょう。
ウィンドウズは単にマックをコピーしたものだから、パソコンがそれらを持つことはなかっただろうと思います。
もし私がドロップアウトしていなかったら、あのカリグラフィのクラスにもぐりこむこともなく、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかったでしょう。
もちろん、大学にいた当時、そんな先々のことまで考えて点と点をつなげてみるようなことはできなかった。しかし10年後からふり返ってみると、非常にはっきりと見えるわけです。
もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、
あなた方ができるのは過去を振り返って繋げることだけなんです。
だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで
必ず繋がっていくと信じなくてはいけません。
自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。
点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに
繋がっていく、そう信じることであなた方は確信を持って
己の心の赴くまま生きていくことができるのです。
結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。
信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。
2つめは、「愛」と「敗北」についての話です。
私は幸運でした。
自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができたからです。
実家のガレージでウォズとアップル社を始めたのは、私が20歳の時でした。私たちは一生懸命働きました。そして10年後、アップル社は、たった2人のガレージ企業からスタートして、従業員4000人以上を抱える20億ドル企業になっていました。
しかし、私たちの最高傑作であった、マッキントッシュを発表して1年後、30回目の誕生日を迎えてすぐに、私は会社をクビになってしまいました。
なぜ自分が始めた会社をクビになるのでしょうか?
アップルが大きくなっていったため、私たちは、非常に有能と考えた人物を、私の右腕として会社を経営してもらうために雇いました。
最初の1年前後はうまく行きました。しかしやがて、互いの将来ビジョンは離れていき、最後は決定的な亀裂を生じてしまいました。
そのとき取締役会が支持したのは彼のほうだったのです。こうして私は、30歳にして会社を追い出されました。それはもう公然と追い出されたわけです。
自分が大人になって以来全てをかけて打ち込んできたものが消えたのですから、私はもうぼろぼろでした。
数ヶ月の間、私はどうしたらいいのか本当に分かりませんでした。自分は前の世代の起業家たちの名誉を汚してしまった、渡されたバトンを落としてしまったのだ、と感じました。
デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って、全てを台無しにしてしまったことを詫びたりもしました。
知らぬ者のない失敗者です。シリ コンバレーから逃げ出すことすら考えました。
しかし、やがて私の中で何かが見え始めました。
私はまだ自分の仕事を愛していました。
アップルでのあんなひどいことがあっても、私の中ではその気持ちは少しも変わらなかったのです。
私はふられてしまったわけですが、まだ好きでした。
だからもう一度やり直してみようと決めました。
その時は分かりませんでしたが、後からみると、アップルを追い出されたことは、人生において最良の出来事だった。成功者であることの重みが、もう一度初心者で あることの身軽さに代わったのです。
ものごとに対して前ほど自信も持てなくなりましたが、同時に私は自由の身となり、人生で最もクリエイティブな時期にもう一度入ることができました。
その後5年の間に、私はNeXTという会社を立ち上げ、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、その女性と結婚しました。
ピクサーはやがて 世界初のコンピュータ・アニメーション映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオとなりました。思いがけないことからアップルがNeXTを買収し、私はアップルに復帰しました。
NeXTが開発した技術は、最近のアップルの復活において中心的役割を果たしています。
ローレンと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
私ははっきりと言えます。
もし私がアップルを追い出されていなかったら、これらのことはひとつとして起こらなかっただろうと。もちろんそれは苦い薬でした。
しかし私には、それが必要だったのでしょう。時として人生には、レンガで頭を殴られるようなひどいことも起きます。しかし信念を投げ出してはいけません。
私が続けられた理由はただ1つ、自分のやっている仕事が好きだったということです。
そしてこれは皆さんの仕事や恋愛においても同じです。
皆さんも、仕事が人生の大きな部分を占めていくでしょうが、真に満足するために必要なのはただ1つ、皆さんが素晴しいと信じる仕事に取り組むことです。
そして素晴らしい仕事 をしたいと思うなら、皆さんがやっている仕事を愛さなければなりません。
もしまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。
ひとつの場所に固執していてはいけません。心というのは不思議なもので、見つければそれとわかるものです。
そして素晴らしい恋愛と同じく、年を重ねるごとによくなっていきます。
だから、常に探し続けてください。ひとつの場所に固まっていてはいけません。
3つめは、死に関するお話です。
私は17の時、こんな言葉をどこかで読みました。「毎日、これが人生最後の日と思って生きなさい。やがて必ず、その通りになる日がくるから」
それは私にとって衝撃的でした。
そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分に問い掛けてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか?」と。その答えが「ノー」である日が続くと、そろそろ何かを変える必要があるとわかります。
自分がそう遠くないうちに死ぬと意識しておくことは、私がこれまで重大な選択をする際の最も重要なツールでした。
ほとんどのものごと、外部からの期待、自分のプライド、屈辱や挫折に対する恐怖、こういったもののすべては死に臨んでは消えてなくなり、真に重要なことだけが残るからです。
自分も死に向かっているという自覚は、私の知る限り、何かを失ってしまうかもしれないという思考の落とし穴を避けるための最善の策です。
あなた方はすでに丸裸です。自分の心に従わない理由はありません。
今から約1年前、私はガンと診断されました。
ある朝スキャンを受けたところ、私のすい臓にはっきりと腫瘍が映っていました。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかったのですが。
医師は、これは治療不能なタイプのガンだと言いました。長くても3ヶ月から6ヶ月の命だろう、と。主治医は私に、家に帰って身辺を整理しなさい、とアドバイスしました。
「死の準備をせよ」という場合の医師の言い方です。
要するに、今後10年かけて子どもたちに伝えたいことがあるなら、この数ヶ月のうちに言っておきなさい、ということです。それはまた、家族が対処しやすいよう、何もかも準備しておけ、ということです。
別れを告げろ、ということです。
私はその診断結果を抱えて丸1日過ごしました。そしてその日の夕方遅く生検を受けました。
内視鏡を喉から入れ、それが胃を通って腸に達します。そこからすい臓に針を刺して腫瘍の細胞が幾つか採取されました。
私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったのですが、立ち会った妻に後で聞いたら、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見たとき、泣き出したのだそうです。
私のケースはきわめて珍しいタイプのすい臓ガンで、手術で治療できるものでした。私は手術を受けそして今、元気です。
これが私の人生の中で最も死に近づいた経験です。この先何十年かはこれ以上近くならないよう願いたいですが。
この経験を経た今、私はあなた方に、死というものが有益ではあるが純粋に頭の中の概念でしかなかった以前と比べて、少しだけ確信をもっていうことができます。
誰もが死にたくありません。たとえ天国に行きたいと願う人でも、そこに行くために死にたいとは思いません。
しかし死は、私たちすべてが共有する行き先です。
かつてそこから逃れた者は1人としていません。そしてそれは、そうあるべきことなのです。
死はおそらく、生命にとって最高の発明です。それは生命にとって、古いものを取り除き、新しいもののための道を開いてくれる変革の担い手です。
今、「新しいもの」とはあなた方です。しかしそれほど遠くないうちに、あなた方もしだいに「古いもの」となり、取り除かれる日が来ます。
ドラマチックな表現で申し訳ありませんが、これが真実です。
あなた方の時間は限られています。他の誰かの人生を生きて無駄にしてはいけません。
ドグマにとらわれてはいけません。それは他の人たちの思考の結果とともに生きることだからです。
他人の意見によって自分の思いがかき消されてしまわないようにしてください。
そして最も重要なことですが、あなたの心や直感に従う勇気をもってください。
心や直感は、あなたが本当は何になりたいのかすでに知っています。
他のことは全て二の次です。
私が若い頃、「Whole Earth Catalog」という驚くべき本がありました。
私の世代にとってはバイブルの1つです。
それはここからそう遠くないメンローパークに住むスチュアート・ブランドという人物が作り出したものです。彼の詩的なタッチは、誌面に命を吹き込んでいました。
1960年代終わりごろですから、パソコンやデスクトップ印刷はまだありません。全てはタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られました。
グーグルが生まれる35年も前の、 ペーパーバック版googleとでも呼ぶべきものです。
理想主義的で、いかしたツールやすばらしい考えに満ちあふれていました。
スチュアートと彼のチームは、この「Whole Earth Catalog」の発行を何度か重ね、一通りのことをやり尽くしたところで最終号を出しました。1970年代半ばのことです。私はちょうど今のあなた方と同じ年頃でした。
最終号の背表紙には、早朝の田舎道の写真がありました。あなたが冒険好きならヒッチハイク の途上で一度は出会いそうな光景です。
写真の下にはこんな言葉が書かれていました。
「Stay Hungry. Stay Foolish.」
それが彼らからの最後のメッセージでした。
ハングリーであれ。愚か者であれ。
私は常に、自分自身そうありたいと願い続けてきました。
そして今、卒業して新たな人生に踏み出すあなた方 に対しても、同じことを願っています。
Stay Hungry. Stay Foolish.
ご清聴ありがとうございました



ぼ、ぼくのことっすか???(笑)なんか呼ばれたような気がしたので(^^
僕の場合、怒っていたというよりも、代表に対して申し訳ないという気持ちでしたけどね。
bjに選手が行かないということに関してですけど、bjのトライアウトよりも前にJBLのチームがスカウトをしている、という面から見るのはどうでしょうか?
コメントありがとうございます。
僕が記事に書いたブロガーさんって、そういえばそうだったかもしれません(冷や汗・・・
僕の感覚では、開催も危ないとか言われてた中で、よくあんなに入ったなあという感じです。
チケットも高かったですよねー。
いくらか忘れてしまったので、今チョコっと調べてみたんですが、予選は一番安い席(大人)で3000円、セミファイナル以降は7000円・・・。のようです。
間違ってたらご指摘ください。
> bjに選手が行かないということに関してですけど、bjのトライアウトよりも前にJBLのチームがスカウトをしている、という面から見るのはどうでしょうか?
なるほど。たしかにそうですね。。。あーそうか。
たしかに来シーズンからJBLでプレイする選手は、一部HPで早々と発表されてますしね。
bjってドラフトがあるから特定のチームが特定の選手に接触するっていうのは意味がないんでしょうか?
bjリーグ側は選手獲得に関しては、トライアウトを受けに来てもらうのを待つ以外ないって感じでしょうか?
チームの中の人間じゃないので、その辺りのことは想像出来ませんが・・・。
ま、自由競争にすると選手の実力やチームの収入以上にサラリーが高騰するかもしれないから、しばらくはこのままで行くしかないんでしょうか。といってもドラフト機能してないしなあ。
チームの中の人間じゃないので、わかりませんが、トライアウトを受けるっていうのは絶対条件じゃないでしょうか。
ただし海外選手の獲得に関してこのあたりの規定が曖昧なんですよね。事実上自由に獲得できるので、お金の持ってるチームが良い選手を獲得できるのは確かです。
(FA権利を含めて、この辺りを問い合わせてみようと何度思ったことか)
韓国Kリーグみたいに、bjも外人選手の獲得にはトライアウトとドラフトの実施するのも面白いかもしれませんよ。
↓それっぽいのを実際やるみたいですが…
http://www.bj-leagueinternational.com/
オン・ザ・コートには制限がないのにbjに入るときには区別があるのってなんかよくわからんですね。
ドラフトもわけわからないし、なんか全部わけかわらない。
戦力均等のためドラフト、っていうのはわかるんだけど対象は日本人だけで、外国人選手はルールがないから結局は戦力均等にならないっすね。
ウギャーーーーーっ
朝山→北海道
かあ。
ここまで避けられてしまうbjっていったい何?